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転生したらスライムだった件を中心に、ドラクエ、エターナル・ラブ三生三世のコメント、感想など吐きます。
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2012-07-29 (日) | 編集 |
橋下市長の文楽へのつぶやきと、

文化人や識者が見る文楽評を要約してみました。

つぶやきは一切編集していません。


朝日新聞に米朝口まかせが文楽について語っているのでリンクを貼ります。こちらを一読されてください。

最後に小生の考えを述べたいと思います。

最近の橋下市長は好きじゃありませんが、ここは公正に述べる所存です。


@t_ishin:は橋下市長のアカウント名です。

橋下市長の連続つぶやき
1. @t_ishin: 昨日文楽を観劇しに行きました。曽根崎心中。守るべき伝統芸能であることは理解しています。しかし、守るだけでいいのか、公演ものであれば振興の観点も必要ではないのか。振興の観点からすると今の文楽の問題は何なのか?これまではこの辺りの議論がきっちりと行われていなかった。

2.@t_ishin: 歴代の市長も、行政も、文楽となれば、批判はタブー。批判すれば、文化音痴と言われるのが怖いのでしょう。自称文化人も誰も問題点を指摘しない。27日朝日新聞29面で佐藤優氏が僕についていろいろと分析をしている。

3.@t_ishin: その中で「人文系知識人層は総人口のコンマ・ゼロいくつしかないのに、新聞の中では5分の1ぐらいを占める過重代表」と言うくだりがある。この認識を持てるかどうか。知識人や多くの行政マンは過重代表の認識がない。そして民意とかい離する。文楽も、人文系知識人層に縛られない方がいい。

4.@t_ishin: もともと芸能は大衆娯楽だ。大衆に受け入れられるかどうかが一番のポイント。大衆に理解してもらうのではない。大衆に受け入れられる文楽にしなければならない。その場合に、大衆の素朴な感想に耳を傾けるかどうか。大衆の素朴な感想に対し、それは文楽を分かっていないと一蹴した瞬間に芸能は死す。

5.@t_ishin: 人形遣い、三味線、大夫は物凄い芸術的技能なのであろう。その凄さを理解するにはそれなりの鑑賞の経験も必要。文楽を勉強する必要もある。これは文楽に限らず何事においてもそう。野球でもサッカーでも、ポップス、漫画、お笑い、バラエティ番組の司会にタレントさんのやり取り・・・

6.@t_ishin: プロの凄さを理解するには、それなりの勉強が必要なのは当然である。しかし、そのような相手だけを対象にしていては広がらない。お笑いや、バラエティ番組の司会やタレントさんのやり取り、レストラン・・・本当は物凄い技術が前提となっているのに、それは別として受け入れられるかどうかがスタート

7.@t_ishin: 古典は守るべきだろうし、古典があるからアレンジも効くのであろう。しかし古典だけでは広がりはしない。この両者のバランスが文楽に欠けているのだと思う。挑戦したいと思っている技芸員は数多くいるはずだ。舞台に立つ者で、多くの観客に観てもらいたいと思わない人はいない。

8.@t_ishin: 豪華キャストを揃えても演出・脚本次第で、映画やドラマ、舞台は台無しになってしまう。これは文楽界の一番の問題点だろうが、演出・プロデュースの責任者は誰なのか。ここがはっきりしない。行政のいつものパターン。責任者がはっきりせず、これまでやってきたことを忠実に繰り返す。

9.@t_ishin: 守るべき古典と、現代に合わせた公演。この辺をきっちりとプロデュースできる人に責任者に就いてもらわないといけないと思う。現在の曽根崎心中は昭和30年の脚本。クライマックスシーンは、僕の感覚では薄くて、物足りなかった。むしろ近松のオリジナルを観たい。

10.@t_ishin: 毎日新聞は僕が台本を古いと言ったと報道。ちゃんと聞いてくれよ。僕は近松オリジナルの方が良いんじゃないかと言ったんだ。杉本氏は演出は現代風にして脚本は近松オリジナルにした。行政が仕切ると、挑戦の芽を摘む。文楽はその典型じゃないかな。若い技芸員が挑戦できる環境にすることが必要だと思う

11.@t_ishin: 観劇の後にメディアの取材を受けたが、もう文楽については批判を許さない雰囲気。ドラマだって、映画だって、芝居だって、公演ものに批判はつきもの。批判されなくなったらもう終わりですよ。僕は素朴な感想を出し続ける。それが文楽玄人から見て、頓珍漢であろうとも。文楽は大衆芸能なんだから。

12.@t_ishin: 一番の素朴な疑問。なんで人間国宝の人形遣いの皆さんは、顔を出されるのか。文楽は人形の芝居のはず。心中の最後のクライマックスで、人形遣いの皆さんの顔が、人形の横にあると、舞台に入り込めない。集中できない。人間国宝以外の方は、皆黒子として顔を隠す。

13.@t_ishin: 人形芝居なのだから、人形以外に人間の影を感じることには違和感を覚える。だから皆黒子となっているはず。ところが人間国宝になると、顔を出されている。これはどういう演出と意味があるのか。人間国宝もその人形遣いの技術が国宝ではないのか。文楽は人形と人形遣いを見ることに意味があるのか。

14.@t_ishin: 現代美術家の杉本氏は、人間国宝の皆さんにも顔を隠してもらった。文楽素人からすると、その演出の方が正解だと思う。人形遣いの皆さんの顔が見えると、人形の世界に気持ちが入っていけない。人間国宝の皆さんに顔を隠した方が良いですよということさえ、今の文楽界では言えないのであろう。

米朝さんの「一見じゃわからんやろ」からの要約

1.『上方芸能』の木津川計先生も言うてはりましたが、『儲(もう)かる文化』と『儲かれへん文化』があって、文楽は儲からへん方の芸能なんです。儲かる文化やったら、昔から儲けてました。

2.文楽の苦しさは、今に始まったことやないんや。50年ほど昔、道頓堀で興行してた松竹が手放した芸能ですからなあ。しかし、今の市長にまで「行かない」とはっきりと言われてしもたら、ますますお客が減ってしまうんやないやろか。

3.若い人には殊に太夫の語る浄瑠璃の文句の意味がわからんということで敬遠されてるらしい。でもね、あれはもともと全部、わかろうとするようなもんやないんやで。でも、聴いているうちになんとなしにわかってくる。文楽というものは、ほんまに緻密(ちみつ)で繊細な芸なんです。そのことは一度見ただけでは、わからんやろなあ。

茂木健一郎のつぶやき

@kenichiromogi: ぶむ(1)まず大前提として、私は文楽が大好きである。東京の国立劇場にも、何度も通っている。竹本住太夫の義太夫には、心が震える。亡くなった吉田玉男さんの人形には、何度息をのんだかわからない。一番忘れられないのが「夏祭浪速鑑」。文楽をまだ見ていない方は、ぜひ劇場に足を運んでほしい。

@kenichiromogi: ぶむ(2)橋下徹大阪市長が、文楽について、その演出などの問題点を指摘された、と聞いたとき、私は虚を突かれた思いがあった。私には、全くない発想だったからである。それから、これは大切な視点かもしれないと思い始めた。世間からの、反発を含めた反応を見ていても、そう感じた。

@kenichiromogi: ぶむ(3)文楽は、歌舞伎にも多くのネタを提供してきた、芸能の原点である。その歌舞伎に比べると、確かに文楽は少しお行儀が良く、「勉強に行く」という感じがある。特に東京の観客は、生真面目で素直な人が多いから、「人間国宝」「世界無形遺産」という惹句だけで恐れ入ってしまう傾向がある。

@kenichiromogi: ぶむ(4)建前やお行儀が優先しがちな東京では、文楽は大入りを続けている。それに対して大阪の国立文楽劇場は苦戦しているという。これを、大阪の人たちの意識の低さ、などと論じていては、本質を見誤るだろう。何よりも、そもそも文楽は大阪で誕生したものだからである。その本場でなぜ苦戦するか?

@kenichiromogi: ぶむ(5)文楽には「時代物」と「世話物」があり、「時代物」は、(文楽が上演されていた江戸時代から見て)過去の歴史に取材している。一方、「世話物」は、当時の同時代の事件に取材している。今や古典となっている「曾根崎心中」も、もともとは同時代に起こった男女の事件が元になっている。

@kenichiromogi: ぶむ(6)つまり、文楽は、それが生み出された江戸時代においては、今で言えば週刊誌、テレビのような役割を果たしていたということである。同時代に起きた事件、人々の関心事に取材して、新しい脚本で、斬新な演出を心がける。だからこそ、観客も引き寄せられた。決して「お勉強」のためにではなく。

@kenichiromogi: ぶむ(7)古典芸能が、現代の風潮を取り入れることは今でもある。実際、歌舞伎では、市川猿之助さん(先代)が「スーパー歌舞伎」を生み出した。通常の歌舞伎でも、役者の会話の中に時事ネタを入れると、観客がわく。「ホリエモン」のような時の人の名をアドリブで入れるのを、何回も見ている。

@kenichiromogi: ぶむ(8)文楽の、今のあり方を愛する人がいるのはよくわかる。私も、すでに確立されたその美意識を大切にしたいと思う。同時に、江戸時代の人が「時代物」に対して「世話物」を生み出したように、現代に合わせた、新しい感覚の脚本、演出、すなわち平成の「世話物」があっても良いのではないか。

@kenichiromogi: ぶむ(9)橋下徹市長が、今回、文楽について発言されたことで、注目が集まっている。時事ネタを脚本に取り入れ、即座に「浪速市長文楽手習鑑」といった新作を発表する機動力が文楽にあったら、観客が詰めかけるだろう。「あの市長さんが〜」。そんな義太夫を見てみたい。江戸時代はやってたんだよ。


感想はこの下です。
【勝手に感想】
橋下市長の発言で文楽について間違い、間違いが多い。ひとつは顔を出している人形遣いは人間国宝だけではない。人形遣いに主遣い、左遣い、足遣いがあり、主遣いだけが顔をだしている。それは単なる人形芝居と異なる文楽のよさと思っている。海外でもそのことが逆に新鮮に受け止められていて、操り人形と違うという高い評価を得ている。

古典と新作についても、言わんとしていることは判らないでもないが、創意工夫を凝らした演目が文楽にちゃんとある。小生まだ6回しか見てないが七福神宝の入舩は大道具、小道具が使われて、演出も豪華絢爛でした。大きな舩が中央に下から出現し、向こうの方から目の前に、ぶあーと迫りくる光景は宇宙戦艦ヤマトばりでした。その上で繰り広げられている七福神の面白い事、滑稽なことと言ったら、それは素晴らしいの一言です。

その七福神の動きたるや顔を出している主遣いのことなど微塵も気にならず、ただただ魅せられてしまう。そういう演目が文楽には多数あります。

批判、批評することは構わないと思う。民主主義の社会なのだし、好き嫌いは当然あるでしょうから。しかし、一度や二度見たくらいで演出がたりないだの、古典ばかりじゃつまらないだのというのは間違いだと思う。

茂木さんの発言に橋下市長が問題点を(何が問題点か小生にはわからないが)指摘したことに虚をつかれたとある。見方、感じ方は人それぞれ、問題意識を持ちながら見ることは別に文楽ばかりじゃなく、どの職業においても必要だと思う。特に企業で働いてる者にとっては大変重要だと思う。しかし小生は文楽を楽しみたくて見に行ってる訳だし、批判や批評をしたくて、行きたいとは思わない。

目の肥えた贔屓の中には、今日はxxさんの節が、xxさんの人形の動きが、今一つだったとかは耳にする。それは根底に励ましや応援して盛りたてようとする気持ちの表れで、こてんぱんに批判してやろうなんて気持ちからでているのではない。そこを汲んであげられないようでは、余にも狭量と見られても仕方ないのではないか。

文楽は儲からない文化とある。小生文楽のお台所まで知らないので収支決算を、述べるつもりは毛頭ない。しかし、間違いではないだろうと想像できる。大夫、人形遣い、三味線は一人前になるまで数十年かかるそうです。人形遣いで言えば、足遣いをこなすまで10年あまりかかるそうです。左遣い10年、そしてやっと主遣いになれるそうです。つまり、一人前になるまで大変な時間を要するわけです。

劇場の客席数も300~500位が最善とされているようです。どこかの歌手が後楽園で大勢の人を集めて演じるような代物ではないのです。あまり劇場を大きくすると人形がみえません。観客に楽しんでもらい、感動して貰えるギリギリの人数が500といった所と思う。

じゃによって、必然的に公演回数、観客動員数が決まってしまう。古典も新作も並々ならぬ練習がひつようでしょう。限られた技芸員さん、限られた公演回数、歌舞伎や歌手のコンサートとは訳が違うのがよく判る。米朝さんが儲からない文化と言ってるのはそこにあると、小生は思う。

小生はまだほんの駆け出しです。とはいっても橋下市長より4回ほど多く観劇しています。そこのところは彼より先輩です。批判するのも結構だがよく見て、理解してからおっしゃった方が良いのではないかと思います。だって間違いが多いんだもの、本当に知ってるのかと心配です。


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