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転生したらスライムだった件を中心に、ドラクエ、エターナル・ラブ三生三世のコメント、感想など吐きます。
2012-01-11 (水) | 編集 |
父は本日10日10:30に無事天国へ大勢の親戚、知人、友人、そしてお悔やみを頂いた皆さんに見守られて旅立ちました。家族を代表して皆さんへお礼申し上げます。
私の知らなかった父親の姿を親戚や知人がたくさん教えて下さいました。永久の別れに際して父親の足跡をここに敬意と愛をこめて残す。

父は17,8の頃志願兵として高射砲を扱う部隊(内地)へ配属されたとのこと。自ら進んで兵隊になったとは驚きでした。成果のほどは惨憺たるものだったそうです。腕よりも高射砲性能のなさが原因だったらしい。B29は1万メートル以上上を飛んでるが弾の到達距離がそこまでなかったらしい。

手先が器用で独学でラジオやアンプを作り親戚に配っていたとのこと。当時ラジオは高級品で田舎では簡単に購入できなかった。父は秋葉原へ行き部品を買い集めつくり親戚へは無償で、近所から依頼された分は殆ど部品代で売ったらしい。金儲けではなく作ることが好きな道楽ものだったようです。母としょっちゅう口論してたのも儲からないことに時間をかけるならこちらを手伝ってということも多分にあったとのこと。子供の私にはうかがい知ることのできないことであった。

そういえばあの当時バイクも高級品だったが貧乏のくせに購入して乗っていた。母が相当苦労したに違いないがそれをさせていたことも事実だったわけだ。そしてその後分不相応にして軽自動車を買い(中古品)半年に一度はエンジンをばらしてはオイルシールを交換している姿を目撃している。今でいえばディーラーの修理屋さんを独自に行っていたわけだ。

カメラも気ちがいに近く現像場所を(暗室)つくり独自に現像までしていた。これで商売の才能があればまた違った人生を歩めたのではないかとも思ったが反対にそんな父に今更ながら尊敬の念を抱いた。金儲けを主体に考えてなかった。あくまでも自分で作り続けることに挑戦していたように思える。
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